変わる。
投稿日:2025年4月11日 / 最終更新日:2025年4月11日
変わりたい人を支援するとは何か。
人はしばしば「変わりたい」と願う。
「今の自分をどうにかしたい」
「性格を変えたい」
「ネガティブな考え方を変えたい」
「感情を抑制したい」
けれど、そもそも「変わるとは何か」。
もしメンターが、「変わりたい」と願うクライアントを支援しようとするならば、
この「変わるとは何か」の問いから逃れることはできない。
「変わること」の本質を知らずして、適切な支援はできないからだ。
メンターとは、クライアントがどう生きてきたのかを見極めようとする営みでもある。
メンターがクライアントに寄り添うとき、
敬意を持って迫る。
目の前のクライアントは「問題」などではない。
一所懸命に生きてきた魂である。
その存在そのものを諦観することが求められる。
メンターは、クライアントの話に深く耳を傾ける。
けれど、そこに「評価」を持ち込んではいけない。
軽々しく褒めてもいけないし、安易に否定してもいけない。
メンターにとって、最も大切なのは「態度」である。
態度とは、人が世界とどう向き合うかの「構え」であり、「しぐさ」であり、「姿勢」である。
態度とは「行動になる前の姿勢」であり、「言葉になる前の感覚」。
メンターの内面が外に現れる、最初のかたちだ。
クライアントは、メンターの言葉を聞いているだけではない。
その佇まい、姿勢、沈黙の間に、メンター自身を見ることにもなる。
つまり、メンターの「在り方」そのものが、鏡となって支援となっているのだ。
だからこそ、誠実に聴く。
整った態度でそこに居る。
焦らせない。押しつけない。軽々しく導かない。
そうした態度が、そのままクライアントとの紐帯となる。
クライアントの話の中に、その人の思想、大切にしている価値観がひしひしと伝わってくる。
思想とは、人が生きるうえでの「軸」であり、「地図」であり、「羅針盤」である。
クライアントの思想の中には、生きてきた悲しみと強さが隠れている。
クライアント自身も気づいていなかった、魂の鼓動が聞こえてくる。
その響きがメンターの内側に伝わり、ふっと言葉が降りてくる。
天啓と言っていいだろう。
それは知識でもなく、技法でもなく、
目の前のクライアントの人生から自然と立ち上がってくる言葉である。
その言葉は、クライアントがより「その人らしく」生きるためのヒントである。
だから、メンターはそれをエレガントに伝えればよい。
押しつけるのではなく、誘うように。
煽るのではなく、静かに差し出すように。
すると、クライアントの法悦をかいま見ることができるかもしれない。
クライアントに必要な言葉は、クライアントの中にある。
それは、その人がこれまで生きてきた証であり、これから進む道しるべでもある。
「変わる」とは、実のところ、「別人になること」ではない。
変わるとは、よりその人らしくなること。
無理に新しい自分を作ることではない。
むしろ、これまで覆い隠してきた「自分らしさ」に気づき、取り戻すこと。
そのためにこそ、メンターは寄り添う。
態度をととのえ、静かに共に居る。
評価せず、焦らせず、
クライアントの魂が、自ら気づき、自ら選ぶのを、尊厳をもって見守る。
変わるとは、自分から逃げることではない。
変わるとは、よりその人らしくなっていくことだ。
その旅路に寄り添うことこそ、
メンターの本質的な役割であり、
その支援は、「言葉」以前に、「態度」によって始まっている。