おもう。
投稿日:2025年4月9日 / 最終更新日:2025年4月9日
「パパ。これからチョコナッツ作らないと。お客様が来るんだ…」
きらきら光る言葉。
明日に来店されるお客様の喜びが、彼女の心に光を宿す。
それが言葉になる。
「パパ。近くの88歳のおばあちゃんが、次の日には堅くなる大福が食べたいんだって…」
手を抜かない彼女は、小豆を煮るところからアンコづくりをはじめる。
大福の皮は無農薬のもち米でつくる。
原価計算なんて無視。
「パパ、お客様を千葉のお医者さんまで連れて行くから、一人で食事して…」
彼女は、お客様や友だちを大切にする。
「パパ」
「パパ」
「パパ」
いつかは最後の「パパ」を聞く。
「お母さん。いつもありがとう」
どれだけ感謝を伝えても足りない。
「お母さん、おいしいよ」
結婚して35年。
2万回以上、家族の食事を作ってくれている。
彼女の料理を超えるものなど、なに一つない。
「お母さん、愛してるよ」
愛してるの言葉がチープになるくらい伝える。
それでも足りない。
「お母さん」
「お母さん」
「お母さん」
いつかは最後の「お母さん」を言う。
本番の「お母さん」は、さっきだったかもしれないけれど…
妻に呼びかける。
何度も、
何度も…
奇跡的に同じ時代に生まれ。
奇跡的に出会い。
奇跡的にときを共有している。
奇跡は続く。
最後の「お母さん」の後にも奇跡が起こる。
次の場所でも彼女と巡り会う。
みんなも、それを知っているでしょ。
また巡り会ったとき選ばれるように、
俺、今を一所懸命に生きるよ。
完璧にはいかないけれど、
彼女が笑顔でいられるように生きる。
正確には覚えていないけれど…
池田晶子さんが書いていた。
この世で奇跡的に出会えたのなら、
次の場所でも奇跡的に会うことは可能…
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若松英輔さんの『読み終わらない本』を読んでいたら、
書きたくなってしまいました。
『読み終わらない本』の28ページ。
君は今、大切な人がいるだろうか。
この人と生きることが、自分の生きる意味だと感じられるような人はいるだろうか。
その人との生活の中で君が普段用いている言葉だ。
その人に君は、毎日、おはようと声をかける。でも、いつか、その人に最後の「おはよう」を言う日が来る。
そのとき君は、ある意味では、使い古されたといってよいこの一語を、そこにわが身を賭すような思いで口にすることになる。
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若松さんのようにエレガントな言葉づかいをする人は少ない。
言葉って、魔法でしょ!
命の正体は、言葉だよな。