ウツの克服?占い師に助けられた?医師に助けられた?
1990年からウツが深刻になりました。。
婚約者との出会いは1989年。
婚約が1990年1月。
そう。
婚約して、
結納して、
結婚式の日取りが決まった頃からウツ症状が酷くなりました。
仕事を休職。
婚約の取り消しを相談。
頼れる相談相手がいないとき、
どうやって乗り越えたのだろう?と思いました。
どれくらい深刻な状態だったのか?
・もちろん、会社は休職
・映画に行けば、上映中は火事になった時の脱出手段ばかり考えていた
・生きている意味を見失った
ウツ克服で試したこと。
1.病院に行ってみた
原因不明の体調不良。
そこで、茨城県取手市にある医師会病院に行きました。
そして、そこはウツ病だと診断された場所です。
重要です。
私がうつ病と決められた場所なのです。
当時の副院長。
暇だったのでしょうか?
予約なしを私を、約4時間かけて丁寧に診察・検査をしてくれました。
最後に結果を聞くと、
副院長先生から
「検査で異常はありません。心配しないでお帰りください」
と伝えられました。
私はお会計を待っていると、
「椎名さん。椎名規夫さん。
お薬が準備できました」
と大きなアナウンス。
私は、「診察で『異常なし』と言われていたので、他の人のことだと思っていました」
しかし、繰り返し「椎名規夫さん。お薬が準備できました」のアナウンス。
私は薬局の窓口に行き「私ですか?」
薬剤師:「椎名規夫さんですか?」
私:「はい」
薬剤師:「お薬が出ています」
私:「何の薬ですか?」
薬剤師:「ウツのお薬です」
私:「えぇ、ウツ…」
実は、その時を境に、私自身がウツを演じていたような気がしてならないのです。
実際、ウツだったのですが…
医師の診断によって、うつ病を演じきっていたように感じる部分があるんで。
2.違う病院に行ってみた
「診察で大丈夫と言っていたのに…」
私は、最初の病院が信じられなくなり、千葉県柏市にある慈恵医大付属病院に行きました。
当時は心療内科がなく、脳神経外科の先生が私を担当してくれました。
担当の先生の名前を憶えていないのですが、とてもいい先生でした。
彼と出会いは、他人からの心の温かさを感じた初めての出来事でした。
もしかすると、この出来事がきっかけで、コミュニケーションのトレーナーをやっているのかもしれません。
さて、素晴らしい先生だったのですが、投薬の影響だったのでしょう。
6カ月で、体重が26kg増えてしまったのです。
慈恵医大付属病院の初診が1990年4月。
当時の体重は72kg。
それが、半年後、98kgになっていました。
その時、確信しました。
「薬では、元に戻らない…」
3.占い師に頼った…
ウツがひどくて、とても結婚できる状態ではありませんでした。
しかし、当時の婚約者。
今の妻は、私との結婚を選択してくれました。
だから、一生、頭が上がりません。
さて、今から約30年前。
ウツ病。
不安症。
自律神経失調症。
まだまだ、この様なメンタルの病気は一般的ではありませんでした。
ホームページもなければ、専門図書もありません。
そこで、私は占い師に頼ったのです。
当時、「よく当たる」と評判の成田山新勝寺の女性の占い師のもとに行きました。
すると、けっこう深刻なこと言われました。
正確な言葉は覚えていないのです。
こんな事だったと記憶しています。
「奥さんが嫁に来た方角が悪かった…」
「奥さんが出産する病院の方角が最悪だ…」
「今すぐ、方位除けをしなければ大変なことになる…」
脅されたとは思っていないけれど、ウツの私を方位除け神社に通わせるには十分でした。
それから通いました。
寒川神社。
3年は、まじめに通った。
8年くらいは、通いました。
なぜ、通わなくなったのか?
ウツの症状がなくなっていたからです。
えっ…。
方位除けでうつ病が治ったの…。
スピリチュアルなことは分かりません…
4.克服した理由
なぜ、私がうつ病を克服できたのか?
明確な理由は分かりません。
そして、克服するまでに試したことを後悔していません。
・病院に通院したこと
・占い師に頼ったこと
・方位除け神社に行ったこと
・ブログには書かなかったけれど、怪しい宗教のお払いに連れていかれたこと(2回ほど)
その上で、私が自分のうつ病克服に役立ったことを記します。
・スポーツジムに通ったこと
・自分がうつ病であるとまわりに告白し、完治することを明言したこと
・理解してくれる家族がいること
そして、私がうつ病を克服できた一番の理由は、妻が支援してくれたからです。
目の前の存在。
私を元気にしてくれたのが妻でした。
だから、私のミッションは、目の前の人を笑顔にすることなんです。
ある日、自分のミッションを人生の先輩に伝えた時、「小さな夢だな!もっと大きな夢を持ったほうがいいよ」と言われました。
その通りだと思います。
そして、それを言われた数年後、改めて自分のミッションは『目の前の人を笑顔にすること』だと確信しました。
だって、私が笑顔にした人がまわりを笑顔にしてくれたら、笑顔が広がるからです。
4.失ったもの…
私がうつ病になって失ったものがあります。
それは、依存することです。
自分の意志を持たず、誰かに依存する生き方を手放すことができました。
自分が生きていくうえで、まわりの誰かとの協力がなければ生きていけません。
それを、「インタービーイング」『相互依存』というそうです。
うつ病の克服する体験から、
妻、
友人、
両親、
祖父母、
会社の同僚から、
自分の足で歩くことを教えてもらいました。
強みを活かしながら、弱みをカバーしあいながら生きる。
これがインタービーイングです。
今、57歳となり、まだまだ、ふらりふらり生きている部分があります。
それでも、うつ病を患った経験こそが、目の前の人を笑顔にする仕事の源になったことには違いがありません。
5.叶うなら…
ある日、妻が「老後は、この場所で個人セッションをしてあげたら…」と提案してくれました。
そんな日が来るのでしょうか?
もし、叶うなら、お客様が誰も来なくても、妻をいやせる時間と場所になればいいなぁと思います。
今、私のセッションに様々なテーマを持った方がお越しになります。
・家族を亡くした悲嘆のテーマの方
・心のテーマ「心身症」「摂食障害」の方
・夫婦、パートナーとの関係改善のテーマ
・DVのテーマ
・親とのテーマ
心のテーマと向き合いたい方。
こちらのサイトを参考にしてください。
https://www.nlpjapan.jp/
私の個人セッションは、こちらをご覧ください。
https://www.communication.or.jp/e-mentor/