石井 久恵
石井歯科医院副院長
表参道こころのクリニック 臨床心理士
『患者さまを治すためには、なにが本当は必要なのだろう』という切実な思いから
私には、歯科医師、そして臨床心理士というふたつの顔があります。
そこには、不思議な経緯があります。
私は、歯科医の一人娘として生まれ、何不自由なく、大切に育てられてきました。
父も母も私に歯科医を継いでもらいたいと望んでいることは幼いころから感じていました。
本当は「人の心」に深い興味を抱き、人の心を扱う職業に就きたいという思いがありましたが、それを言いだすことはできずに歯科医になりました。歯科医の仕事が嫌いだったわけではありません。
でも、私の中にある「人の心」への興味が薄れることはありませんでした。
長年、歯科の現場で治療にあたっているうちに、歯科の治療だけではなかなか完治しない病気もあることがわかってきました。たとえば、歯のかみあわせがうまくいかない「顎関節症」などです。
いくらレントゲンで顎の関節を検査し、治療をすすめていっても、どうしても良くならない患者さまがいるのです。
悩み、研究するうちに、どうやら歯だけの治療だけではなく、心や環境のストレスをやわらげてあげないと完全には治らない、ということに気づきました。そして症状の原因に心理的な「なにか」が関わっているなら、その「なにか」を取り除けば症状は治る、と考えたのです。
歯科医療は、「原因をとれば治る」という考えに基づいています。歯科医としてこの考えの下に教育を受けてきた私は、このときも「その原因を取り除きさえすれば治る」と考えました。
そして、引き寄せられるように心理学へと足を踏み入れたのです。最初はカウンセリングの主流である、傾聴、共感、受容を主とするロジャーズ派から入り、症状の裏にある心の問題を聞き出し、それを解決すればよいのでは、と考えました。
ところが「歯の痛みを取り去りたい!」と来院される患者さまは、自分の日常のストレスや心の問題に気づいていない場合が多く、カウンセリングはなかなかうまくはいきませんでした。
その原因を、自分の知識不足、技術不足と考えて、私は心理学の勉強へとさらに深く入っていきました。でも、今思えばもともと興味をもっていた「人の心」に関する学問である心理学、その魅力にとりつかれるように引き込まれていったのかもしれません。
「自分が心から楽しいと感じることを、何より大切にしていいんだ」
そして、患者さまの心の問題を扱ううちに、自分自身が抱えていた心の問題へと目を向けざるを得なくなっていきました。
私は、本当は何をしたかったのか。なぜそれを押し殺して生きてきたのか。
心理学を学ぶことは、単に患者さまの症状を治すことだけでなく、「自分自身を癒す」という大切な意味を持つようになり、専門的に学びたいと思うようになりました。そして、歯科医の仕事を続けながら、臨床心理学の大学院に入学しました。それが、アメリカのカリキュラムをそのまま取り入れた大学院であったことが、私にとって大きな意味をもつようになります。
3年間のカリキュラムの中には、自分自身がセラピーを30時間体験する「教育セラピー」がありました。そこで自分自身の持つ「本当は何をしたかったのか」という問題に正面から向き合うことになったのです。
そして、そのセラピーの中で、はじめて「自分が心から楽しいと感じることを、何より大切にしていいんだ」という気づきを得ました。セラピストは自分自身の問題を知り、解決しなければなりません。
人の心をケアするためには、自分自身のケアができることが必要なのです。
なぜなら、誰かを助けるためには、的確な状況判断が必要だからです。土砂崩れに流されている人を助けるときに、一緒に巻き込まれてはいけない、自分の足場をきちんと定めて確実に助けあげなくてはいけない。大変難しいことでもありますが、自分の問題も直視し、それを乗り越えていないと、誰かを助けることなどできないのではないか・・・、と私は考えています。
また、大学院の3年目に一年間に400時間、精神科のクリニックにてクライアントさまを受け持つ、という実習がありました。そこで、私は実際に精神科に通院される患者さまを担当しました。その経験を通して、私はますますセラピストとして患者さまを援助する仕事に惹かれていったのです。
様々な心理学の勉強、特に大学院での教育が、歯科医院での患者さまたちへの関わりを変えていきました。それまで、「治す」ことばかりを目指していた私は、もっと広い「症状を完全に治すのではなく、症状を軽くし、症状と付き合って生きていく」という考え方に出会うことができたのでした。
歯科で関わる患者さまへも、精神科のクリニックのクライアントさまへも、それぞれのご本人の力を信じて寄り添う医療を目指すことが私の目標となりました。そのために必要なのは、患者さまと深い信頼関係を築くことです。
それには、もちろんカウンセリングの基本である傾聴・共感・受容も大切ですが、それ以上の技量がないと難しいこともあると気づきました。そして、様々な技法を学びにいきました。
医学には、ここまで学んだらOKというゴールはないのだ、と思っています。
「ピン!」と直感の働いたコミュニケーション
様々な心理学のセミナーを模索している中で、知人からコミュニケーションの講座を薦められました。
実は、私は7~8年前に、他社でコミュニケーション一日体験コースを受講していました。しかし、その体験コースは当時の私にとって全く面白くなく、印象が残るものではありませんでした。そのため、「いまさらコミュニケーションか・・・」という気持ちも半分ありました。
しかし、催眠を学び、自分の無意識を信じていた私の直感が、催眠療法の雄であるエリクソン教授が体系的に明確にしたコミュニケーションだというところに「ピン!」と働き、日本のコミュニケーション講座の資料を可能な限り集めました。数年前とは違い、実に多様なコースがあることに驚きながらも、日程、値段などを比較した後、また「ピン!」とこの日本コミュニケーショントレーナー協会に勘が働き、その日のうちに申し込みをしたのです。
それが私に大きな転機をもたらしてくれました。
講習中の気づき「これはすごい!」
トレーナー協会のセミナーは、以前の経験とまったく違い、コミュニケーションを使って人の心の深層にアプローチする、すばらしい知識と技法を伝えてくださるものでした。
講習が始まって早々に、「これはすごい!」と思った瞬間がありました。講習生のひとりが前に出て「過去の出来事」を述べたセッションです。実に穏やかに、理路整然とある過去の出来事を語り続ける講習生に向かって、トレーナーが「今君が穏やかに話しているのは、自分の本当の気持ちと違うよね」というような言葉を投げかけたのです。
すると、発表していた講習生は、拳をぎゅっと握って自分の膝のあたりをトン、と打ちました。
とても小さな動作だったのですが、トレーナーはすかさず、「それ、そのギュッと握った拳は“怒り”だよね」とまた言葉を続けたのです。
すると、講習生は「あ~~~」と声にならない声をあげ、肩の力をすっと抜いて、「そう、私は本当は怒っています」と、実に納得がいったというようなすっきりした声で答えたのです。
私はそれを見て、「あ!こういう風に自分も患者さんの“本当の声”を聞き出せるようになりたい!トレーナーさんに弟子入りしたい!」と心から思いました。
歯科医との2足のわらじとはいえ、心理学を体系的に学び、修士もとり、また実際にクリニックで心理学療法士として患者さんにも接している私でありながら、その時、心の底から「弟子入りしたい」と思ったのです。
また、こういう気づきもありました。上司役と部下役とが会話をするセッションです。部下役のトレーナーが悩んだ顔をして「会社を辞めたいんです」といいます。それに対して上司役は「なぜなんだ」でも「それは困る」でもなく、「深刻そうだね、いろいろ悩んだんだね。相談してくれてありがとう」と対応するのです。
すると、「上司は自分のことをわかってくれる」「部下のことを大切に思ってくれている」というコミュニケーションが成立する、というのです。
私は、このセッションで、大学院時代以来、うっすらと気づいていた「‘悪いところを取り除く’という考えだけでは偏っている」、ということを改めて考えました。「痛いんです」と患者さまが言ったら、そのまま「何が痛いんだ」「理由はなんだ」と聞きだし、それを取り除けばよくなるという考えだけではコミュニケーションにはならない。もっと深い信頼関係を築きあげるコミュニケーションがあることをコミュニケーションによって確信したのです。
講習を終えて実践で手法を使った時の驚き
歯科でも精神科のクリニックでも、本当の問題を焦点化することができないと様々な症状の改善は望めず、治療を進めるうえで時間ばかりがかかってしまいます。
ところが、コミュニケーションスキルを使って患者さまやクライアントさまの非言語とコミュニケーションをとることで、すばやく問題を見出し、さらに様々なスキルを使うことで、安全に問題を解決することができる・・ということを学ぶことができました。
講習を終えて、歯科の現場でコミュニケーションの手法を使ってみると、実に様々な変化を感じることができました。時間に制限があってとても行えなかった「無意識への働きかけ」がコミュニケーションの手法ではストレートに短時間でできるようになり、患者さまの「本当に訴えたいこと」を真っ直ぐに捉えられるようになったのです。
また、週に一度行っている心理療法士としての仕事でコミュニケーション心理学を使ってみたところ、患者さまがコミュニケーションの手法によりかなり症状が良くなってきた例を次にあげたいと思います。
Aさんは、会社の中でのコミュニケーションがうまくいかず、体の不調を訴えていました。
自分の仕事はとっくに終わって帰宅できるのに、「お先に失礼」と言い出せない。そのままずるずると終電近くまで会社に残る。残業代が出るわけでもない。体も疲れているけれども、「言い出せない自分」にぐったり疲れて夜もろくろく眠れない・・・。
ある時、後輩が「お先に失礼します」と帰ったとき、「ムッ」としたのと同時に首の後ろが硬くこわばり、めまいがしてくるのがわかった。それでも何も口にできなかった。次の日から、自分の机にすわっても目の前のコンピュータを立ち上げることも、何もできなくなってしまった。ようやくメールを開いても、文字が頭に入ってこない。
いよいよ人の目が気になってしょうがない・・・と、診察時に背中を丸めてぽつりぽつりと話してくれました。
そこで、コミュニケーション心理学の手法を使い、「そのムッとした気持ちは体のどこにありますか」「それを取り出してみましょう」「どんな色をしていますか」「それと語ってみましょう」・・・・・などなどセッションを進めました。
すると、「自分が本当に思っていること」を口に出しても大丈夫なんだ、それによってコミュニケーションが進むんだということが、スッとAさんの胸におちた、とわかる瞬間がありました。
眉間が開き、目が前より明るくなり表情が変わりました。
「なぁんだ、思っていることを口に出していいんですね・・・」
長年治療に携わってきた中で、なかなか進展がみられなかったAさんですが、このスキルを使ったセッションをきっかけに、少しずつですがスムーズなコミュニケーションがみられるようになってきています。
自分自身の癒しそして周りの人たちへの分かちあい
続けて上級コースに参加したことは、仕事に大きく役立っただけでなく、私自身もとても癒されたのだと感じています。
トレーナー協会のセミナーを受けるうちに私の無意識は癒され、自分を知らず知らずのうちに苦しめていた信念が、自分を、そして自分以外の人たちを大切にするへと書き換えられていきました。
大学時代、自分自身の問題に気づいてから、私は自分が心から楽しいと感じることを何より大切にしてきました。それが自分自身を癒すという作業だったからです。そしてその選択が、私に最も必要な時期に、必要な出来事や人へと出会わせてくれました。
その流れの中に、トレーナー協会との出会いもあったのです。
上級コースの最終日、私のしあわせは、自分自身だけのことではなく、自分以外の人たちの笑顔に出会うことにある、と気づきました。
それは、もしかしたら、やっと自分が癒しのときを迎え、誰かを援助することができるようになったことを示すのかもしれません。
私の医院のスタッフへもコミュニケーションの技術を伝えています。それによって、小さなお子さまをお持ちのお母さんたちの子育ての不安や、周囲の環境の不安までも伺うことができるようになり、お子さまたちの歯の健康のために、様々な情報をよりよくお伝えできるようになってきました。
また、現在地域の方々への歯の健康とコミュニケーション心理学を含む心理学的なアプローチのセミナーを続けていますが、来年からは連続講座としてさらに頻繁に開催していこうと計画中です。
トレーナー協会でコミュニケーションを学ぶことを通して、私は実際にたくさんの患者さまやクライアントの方、またプライベートな人間関係においても、今までよりずっと深い信頼関係を経験することができるようになったように感じています。
これからも、誰かの笑顔に出会うことを、私自身の喜びにして、学び続けていきたいと思っています。
プロフィール
石井 久恵
栃木県足利市 2丁目石井歯科医院副院長
東京都渋谷区 表参道こころのクリニック 臨床心理士
日本大学歯科部卒業
アライアント国際大学/CSPP臨床心理学大学院卒業
歯科医として、「虫歯が一本できること、歯周病で歯を失うこと・・それらすべてにその人だけの物語がある」として、心理的・社会的な背景から原因を追求する心身医学的治療を目指す。
臨床心理士としては、精神科医とともにクライアントの心のケアに携わる。